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佐島の伝統祭り(前編) 三年に一度神輿が海を渡る

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(前編)
佐島の伝統祭り 神輿海上渡御
みこしかいじょうとぎょ

 

2016年は佐島の祭りが大祭りとして帰ってきた。3年ぶりに神輿が船で海を渡る神輿海上渡御だ。間の2年はかげ祭りと呼ばれ神輿は出されても、海上渡御は行なわれない。

 

今回取材をお願いしたのは、祭りを取り仕切る佐島氏子会の氏子総代福本勇さん。

福本 勇さん
佐島氏子会 氏子総代
漁船 孫次郎丸船長
佐島の人々から『孫次郎さん』『孫さん』と呼ばれ慕われている。
長年佐島の祭りを取り仕切り、祭りの安全と伝統の継承に尽力されてきた。

昔は毎年7月11日に必ず行なわれていた佐島の大祭り。カツオ漁に使うイワシをとる時期と重なっていたことにより、漁師から祭りの時期をずらしたいと要望があり、現在の3年に一度の実施となった。

 

祭りは、榊、子ども榊、子ども神輿、天満宮神輿、大人神輿、屋台(お囃子)が佐島の町を練り歩くところから始まる。目を引くのは、横須賀で一番大きな神輿の大人神輿だ。重さは850kg以上、担ぎ棒が圧倒的に太くて長い。この大神輿を昔は20人で担いでいたというから驚きである。現在は40人程で担がれる。

 

立ち寄る家々ではおもてなしとして、お供えや酒、郷土料理のへらへら団子が振る舞われる。

 

浜に神輿が着くと、熊野神社神主による祭事が執り行われ、いよいよ神輿が海に入ることになる。勇さんの言う『佐島の神輿はあばれ神輿』の言葉通り、神輿は前後左右に激しく揺さぶられる。

 

あばれ神輿。以前一度だけ神輿がひっくり返った事もあったそう。

沖で待つ大きな船に神輿を載せるため、まずは横につないだ小さな2艘の船で神輿を渡す。小さな船から大きな船への海上での神輿の載せ替えは豪快の一言。しかしそれは危険とも背中合わせの場面でもある。

 

今まで、海上渡御中の事故は一度も起きていない。それは、勇さんと仲間たちが常に天候や海の状況、人の配置に気を配ってきた証である。この日の勇さんも緊張した面持ちだった。

 

海上で隊列を整えたら、いよいよ海上渡御の始まりだ。船上では佐島船歌が歌われる。この船歌は横須賀市指定重要無形民俗文化財だ。

船歌保存会による船歌奉納

大漁旗で彩られた船に神輿や榊が載り、佐島沖をゆっくりと進んでいく。その様子に、勇さんが言っていた『朝降る雨も止む神輿』という言葉をふと思い出す。

 

海上では青空が広がり、波も穏やか。大漁旗が緩やかにはためいている。

 
はためく大漁旗。安全な航海を願う。

渡御がおわり、神輿はその後一週間ほど御仮屋に置かれることになる。この期間、漁師が漁に出る際、御仮屋をお参りしてから海に出るそうだ。お参りによって『気持ちが落ち着き安心する』と、勇さんは言っていた。

 

以前神輿が壊れていて神輿を出せなかった年があったそうだが、その年は不漁だった。たとえ、かげ祭りでも神輿を出さないわけには行かないのだ。佐島の漁師にとって、神輿、祭事は心のよりどころなのだ。しかし、近年、漁師が減り、氏子会の人数も減ってきており、実は3年後の祭りの実施が心配されている。勇さんが今年を最後に氏子総代を引退することも理由だ。人々は口をそろえて言う。

 

『孫さん(勇さん)がいなきゃ祭りはできねぇ』

 

佐島の神輿海上渡御は、氏子会、漁師、神社が一つになって初めて出来る行事。氏子総代は、氏子会や漁師、海上保安庁、各交通機関等との調整や祭りの準備、渡御の全指揮をとる重要な役割がある。今のところ、氏子総代を引き継ぐ人は見つかっていない。

 

江戸時代から続く佐島御神輿海上渡御。この土地に根ざした豪快な伝統神事。3年後もまた見たいと切に願う。